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【製作する側の目線・視聴者の目線】
製作する側~
撮影の前に、リハーサル&打ち合わせの段階で、
物語の補完作業や、何らかの暗黙の了解があったとは思います。
なので、製作者&演者の中では自然な流れで、
ストーリー展開が理解でき、
すでに違和感は払拭されている状態ではないかと、想像します。

けれど、この物語を初めて観る私たち視聴者には、
前置きの予備知識(伏線)が全くなく、
基本的に、まっさらな状態で観ています。

そこに、作る側と観る側の目線のギャップが生じたように感じられました。

先に述べたように、
与えられたヒント(伏線)が少ない(or全く無い)状態で
唐突に出てくるセリフ、いきなりの場面転換(シーンが飛ぶ)は、
スムーズだった物語(ドラマ・感情)の流れを断ち切ってしまい、
そこの違和感だけが際立ってしまう。
視聴者の感情移入を殺(そ)いでしまう。
(AVの場合、=セックスに至るまでの感情移入がしづらくなる。)

ゆえに、AVであっても
視聴者が一番観たい、大事な感情の流れを見せる過程(ドラマの流れ)を、
断ち切っては(省略)いけない…のかもしれないな、と。


(23)へつづく。
あとも~ちょっと♪(*゚▽゚)人(*゚Д゚*)
【視聴者は"カタストロフィ"(盛り上がり)を求めている】
★カタストロフィ…
「倒す」を意味するギリシア語のkatastrophに由来し、
普通「悲劇的結末」とか「破局」と訳される。
演劇用語としては、劇構成上の最終部分を示し、
クライマックスで最高潮に達した主人公の運命が
やがて逆転、下降線をたどり、
残っていた運命挽回(ばんかい)の可能性も消えて
破滅が決定的になることをいう。

しかし、なにも悲劇にだけ適用されるものではなく、
単に劇を結末づける部分をさすとも考えられ、
「大団円」「大詰」と訳されることもある。
この意味では日本の能の「序破急」の急がこれに相当する。
(出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)より転載)

※ちなみに序破急とは、お能や浄瑠璃などの起承転結の事デス~。
序…序章(プロローグ)。破…盛り上がって。急…急展開に収束。
~みたいに考えて戴ければ…。
(確か昔にそう習ったんですが~記憶が…!もし間違っていましたら御一報を!)


絡み(レズプレイ)の上ではカタストロフィ(盛り上がり=絶頂)、
すごくありました。
先に記述したように
ドラマの上では、ちょっと感情の流れを断ち切られた状態になった。

★ドラマ的には、2人が結ばれる、
前半までは感情移入がスムースだった。
後半は一端、感情が途切れてしまった。

いつもだったらしつこいほどに丁寧に(注:褒め言葉です!)
女の子の気持ちを丹念に追ってくれるのに
なぜそうなったのか?

★時間配分…
バスの痴漢場面に時間をとりすぎたから…なのかな?
(今回の一番の見せ所なんで、AVとして全く間違ってないんですが~)

今回、ずっと一緒にいられない…がテーマだとして、
痴漢という道を逸れる人でも
人間的な悩みがあるんだよ…
痴漢設定にとらわれすぎて、
痴漢する側(えみ香)の心情だけを描いてしまった。
えみ香の事情、こちらだけをクローズアップしている。

痴漢される側の心情は?紗世の心の葛藤は?
紗世はなぜ逃げなかったのか?

※映像の中では紗世に対する情報は、
ほとんど語られません。
(↑視聴者の紗世への興味や、想像を喚起されて、全然有りだと思います。)

ただ、紗世の立場に感情移入する…となれば
多少なりとも、紗世の人としての背景(バックボーン)や内面は知りたい気もしました。


★そこでちょっと思い出したのが~
※例)井坂朋泰監督の名作『制服レズビアン』のドラマ部分での西野翔さんの役柄…
心情変化(葛藤)が少なくて、常に平常心を保っている印象で、
相手役の南つかささんをどう想っているのかが
見えづらかった…。
(ゆえに翔さんの行動には多少、唐突感がありました…)
(ひと夏の避暑地の出来事…美しい映像背景&美少女同士の淡い恋~
 若干、雰囲気で乗り切った感が~…)
(わ~ゆっちゃった!すみません!この作品も死ぬほど好きなんですぅ~!)

逆に、南つかささんの役柄は、丁寧に気持ちを追ってくれていたので、
つかさの気持ちのゆらぎ…心情変化が目に見えて、とっても感情移入ができました。
つかささんによって、気持ちが揺さぶられる翔さんがもっと見たかったな…。
それと状況が似ている気がしました。

※詳細は、マイブログのレビュー・カテゴリー『制服レズビアン 西野翔 南つかさ』にあります。
そちらをご参照下さいませ。

登場人物の気持ちの流れの表現方法が
制服レズビアン→レズ痴漢
(※一人のみ、感情表現。)
片想いレズビアン→ずっと一緒にいようね2
(※2人の感情表現有り。)
~に似ているな…と思いました。

どんなに設定が荒唐無稽でもかまわないのです。

その世界に生きる登場人物たちが、
ドラマ(物語)のための、一つの記号(コマ)ではなく、
愛し愛され、泣いて笑って喧嘩して
(どこかの歌詞のフレーズみたいですが…)
確かな感情によって行動する~
登場人物(キャラクター)の感情のゆらぎ(葛藤)を観たい。

レズものはW主人公だと思われます。
どちらか片方の感情が欠けても成立しない
2人、どちらの心情も(映像として)描いてあると、
とっても嬉しいデス…。


(22)へつづく。
あともう少し…カナ。長くてホント、すみませんデス…m(__)m
【レズビアンについて】
★物語の中で、レズビアン…という言葉に固執しなくても良いのではないか。
レズビアン…というのは、
その人の肩書きの一つにすぎない。

レズビアン(同じ女性が恋愛対象である)…という理由の前に
一人の人間として、どう生きてきたのか

その背景(バックボーン)を、解説セリフではなく、
じっくりとドラマで見せる。それが一番ベストなのですが
やっぱりAVなので、絡み(レズプレイ)の時間の方に重きを置くのは
当然の帰結だと思います。

では仮に、ドラマに割く時間を多く取れないのであれば、
物語中、さりげない【一言】【行動】【小道具】を
たった一つだけでも挿入することで、
2人の気持ち、それぞれの過去、現在の2人の関係~を暗示させることができ、
そこから視聴者の想像力を刺激して、
否応なしに私たち視聴者を、2人の物語世界へと巻き込んでゆけるのでは…。


例えば、

○えみ香の部屋。
激しく愛し合ったあと。
ソファで見つめあう、えみ香と紗世。
突然、えみ香の携帯電話(スマホ)が鳴る。
「!」
ハッとする2人。
「…」
えみ香、一瞬迷う。
腕の中の紗世を見る。
紗世、こっくり頷く。
「ごめんね・・」
部屋から出ていくえみ香。

部屋を見渡す紗世。
伏せられたままの写真立て。
ふと立ち上がり、
何気なく手に取る紗世。

えみ香と誰か知らない女性。
仲良さげな(軽いキスorハグ)写真が。
「…」

○部屋の外・廊下
誰か(両親?)と携帯で言い争う、えみ香。


この場面、レズビアン…という言葉を口に出さなくても、
女性同士の親しげなツーショット写真【小道具】を挿入する事により、
えみ香には以前にも付き合っていた女性がいたのでは…と薄っすら想像できます。
写真立てが伏せられているのは、えみ香の現在の心境を表している。

さらに、言い争うえみ香【行動】…もう1シーン挿入する事で
肉親とうまくいってないのでは…と
目に見える情報として、自然に視聴者は理解できます。


前回、ずっと一緒にいようね2のレビューの時、
何から何まで全てをナレーションやセリフで説明するのではなく、
【視聴者のドラマ背景を想像する力】を
もっと信じてもよいのではないか…と書きましたが、

例えばピカソの絵画…確かな基礎のデッサン力があって
そこからはじめて、自分なりの鮮やかなオリジナリティを出していくように

大本の流れ(最低限の基本ストーリー)が、まずあって、
そこから、作者の伝えたいことを、見せたり、見せなかったり、
足し算、引き算をしてみる…。

★そこから、はじめて、もう一段階、上を目指して、
匂わすセリフや、映像でも、作者のオリジナリティを表現してみる~
【小道具】や【行動・しぐさ】をヒント(伏線)にして、
話が進むにつれ、2人の謎(関係・秘密)が
視聴者に、徐々にあきらかになる。…など、
全てを最初から提示せず、
2人のやり取りに興味を持たせ、少しずつ、謎解きのように、
視聴者を想像力の翼で、物語の中へ、ぐいぐい引き込ませる。
こういう表現方法も有りではないかな…と。


(21)へつづく。