2ntブログ
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それから、よく相談に乗ってもらっている友達に電話をかけました。
「それは親が過保護だね」
やっぱりそうなのか…。
「子供も脆いんだね。本人がしっかりしてれば、普通そうはならないよ。
 …でも何とかしなきゃね」
このクールな友達は、彼女と直接の知り合いでは無いのに、
けっこう親身に相談に乗ってくれました。
他の人には誰も頼れません。
~と言うより、誰も私と同じ立場にいないので、友人たちも
傍観者にならざるを得なかったのだと思います。
この世話焼きな友達がいなければ、私はこれ以上どうすればいいのか判らず、
気が狂いそうになっていたかもしれません。
(少々大げさな表現ですが…その時は、他が見えずに必死でした)

そんな経緯から、三ヶ月後の八月。
私は急遽、友人の代理でディズニーランドのツアーへ行く事になりました。
宿泊していた千葉のホテルから彼女に電話をかけてみます。
千葉からかけている…と知ると驚いた様子でした。
「行ったらあかん?」
「ダメ、来ないで!」
…う~話にならない。
仕方無く「判った」…と一応は納得した振りをして、電話を切りました。
断られても行くつもりでした。

(24)へとつづく。

東京での再会から、ちょうど一年後。
あれから手紙以外、何の連絡もしていなかったけど、
今年もあの娘の家を訪ねて行ったらダメやろうか…?
思いきって彼女の家に電話をしてみました。
「遊びに行ったらあかん?」
「…ダメ、来ないで」
このセリフの一点張り。
「もう、あんたじゃ話にならへん!お母さん、出してよ」
「…いいけど、私がダメって言ったら、きっとお母さんもダメって言うよ」
「いいから、かわって!」
「…」
渋る彼女に、無理やりお母さんと電話をかわってもらうと…
「もしもし、~ミキがそう言うのなら…」
「!」

その後のことは、あまり覚えていません。
下手に逆らうと何をしでかすか判らないため、母親は彼女のいいなりで、
腫れ物に触るような態度をとっていました。
親が子供に遠慮してどーすんの!?
私はとても興奮してしまい、彼女の母親に食ってかかりました。
「じゃあ、ほっておいてもいいんですか!?」
「ええ、ですから、もう少し様子を見て・・」
様子を見るって、一年も二年も見るってこと!?
信じられへん…!!
涙があとからあとから溢れてきました。
どうにも出来ないもどかしさと、情けなさで頭が一杯になり、
彼女の母親の言葉も耳に入りません。
これ以上、彼女の母親と話をしたくなかった私は、
「すみません、切ってもいいですか?またお電話します」
そう言って、自分から電話を切りました。
そして家族に聞かれないように、一人、嗚咽しました。

(23)へとつづく。
やっぱり後でとても後悔する事になりました。

それが十代最後の初夏の頃のことでした。
以降、彼女に電話をかけたりもしました。
「ちょっと私の話聞いてるん~?」
「…うん…今ね、目の前のパチンコの広告がね…」
「つか、パチンコの広告なんてどーでもいいーっっ!!」
私の話を聞いているのか、いないのか、
彼女はいつもうわの空でした。
これはあかん、電話代がもったいないわ~…。
それからは、ひたすら手紙を書いては出すことにしました。
お陰で、私はすっかり筆まめな人間になってしまいました。

彼女からの返事は全くありませんでした。
最初のうちこそ、
「なー、お母ちゃん、私になんか手紙届いてなかった?」
毎日、毎日ポストを覗いては、彼女からの手紙を待っていましたが、
さすがに一年もその状態が続くと、
もう、来ないかもしれへんなぁ~…と思うようになっていました。
いいや。返事が来なくても出し続けよう!
そう決めました。
ちょっとやそっとじゃ懲りないヤツでした。

友達のこと、日常の出来事、今一番気に入ってるもの…etc.
ありとあらゆる事柄について、自分が感じたことを包み隠さず書きました。
2・3ヶ月分を貯めて、一気に出す為、枚数がとても多くなってしまい、
「ケイ~、出すんやったら、もうちょっと小出しにしたら?」
~などと、友達に呆れ顔で言われてしまいました…(^-^;)

(22)へとつづく。

最後の日には、横浜の中華街や港の見える丘公園へ行きました。
噂には聞いていましたが、港にはカップルがいっぱい!!
通りがかりに見つけたモダンな建物。
「入ってみる?」
「うん」
横浜ゆかりの作家・大佛次郎(おさらぎじろう)記念館へ行ってみました。
大佛コレクションの中に、アンティークな食器や家具、
浮世絵などが沢山ありました。
お互いの好きな絵画とか音楽の趣味が似ていたので、
高校時代、よく二人でそんな話をしていました。
「あれ、好きそう!」
私は浮世絵の一つを指して言いました。
彼女は一瞥(べつ)すると、
「…あれね…。昔は好きだったけど、今はもうどうでもいい…」
「…」
完全に無気力、無関心。

夕暮れになりました。
私は、彼女の家へは戻らずに、このまま大阪へ帰るつもりです。
帰りたくない。もっと一緒にいたい。
何でこんなに離れてるんやろ…。
気軽に行くには、千葉は遠すぎます。

彼女は、東京駅まで見送りについて来てくれました。
新幹線の乗降口で、発車ギリギリまで一緒にいました。
「お願いやから、もうちょっと人間らしい生活してな」
「・・うん」
「また電話する。手紙も書くから」
「・・うん」
彼女は名残惜しそうな様子でした。
せっかく懐いてきたのに(彼女は子犬かっ)
私が帰ってしまったら、また元の木阿弥(もくあみ)になってしまうのでは…。
一瞬、不安がよぎりましたが、帰らない訳にもいかないので、
後ろ髪をひかれつつ、私は車上の人となりました。

(21)へとつづく。

千葉には4・5日滞在しました。
私が訪ねるまで全く外出していなかった様子だったので、
東京見物がてら、二人であちこち行けたらいいな、と思っていました。
あの娘の案内で東京ディズニーランドや横浜へ遊びに行く事になりました。

初めてのディズニーランド。
…平日なのに、この人だかりは何なんでしょう!?
皆さん、学校とか会社は~!?
関西から出た事の無かった私は、あまりの人の多さにちょっと辟易気味でしたが、
おまけに遊園地とか可愛いモノとか、女の子の喜びそうなモノに、
実はまったく興味が湧か無かったとゆ~…オタクなヤツでしたが(^o^;ゞ
(今でもあまり変わっておりませんが…)
そんな私でも素直に楽しんでいました。
二人で行けるならどこでも楽しかったようです。

本当は苦手なのですが、あの娘が乗りたがっていたので、おつきあいで、
ジェットコースター関連の乗り物に沢山乗せられてしまいました。
中でも、最高に嫌だったのがスペースマウンテン!
これは死ぬかと思いました…。
(Gに弱い私…Gスポットではありません…かかる重力&加速度です(;_;)d)
(まだスプラッシュマウンテンやビッグサンダーマウンテンは許せた…)

暗黒の暗闇の中、上下も判らず、一体どこを疾走しているのやら、
私は、唯一の命綱である手すりを必死で握りしめ、
ギュッと目を瞑って下を向いたまま、声も出せずにいました。
ひたすら早く終わって~神様…!!

~~~~~~~~~閑話休題~~~~~~~~~~~

やっと解放され、くた~…っとヘタれて放心状態の私の横…
「たいしたこと、なかったね」
「……」
彼女はケロリとした表情で言ってのけたのでした。
…絶対、この人、人間じゃないと思います。


気がつくと、けっこう夜遅くまで遊んでいました。
遊び疲れた私と彼女は、人ゴミから外れたベンチで休憩していました。
何だか少し落ち着きがない彼女。
「ど~したん?」
「…煙草、吸ってもいい?」
「…いいけど」
いつの間に覚えたんでしょう?
お姉さんの影響でしょうか?
煙草を吸う人って、特に嫌いな訳ではありませんが、
一服して落ち着いた彼女の姿を目にすると、
「何だかイメージじゃないなぁ~…」
などと、思ってしまいました。
「心配するから、お母さんには内緒なの」
「……」
麻薬に救いを求めている中毒患者のように見えました。
私が余計な口出しをして、止めろって言うのも変やしなぁ~…。
(注:二人とも、十代です。念のため。)

(20)へとつづく。